sola 禅ヨガ

ヨガと通じて大切な「心」を学ばせていただいてます。日々感じる事や気づきを綴っています

禅ヨガとは「気づき」のヨガ

「ない」ものより「ある」ものに目を向けられること、満ち足りた心を呼び起こしてくれる・ヨガ。 心と身体の調和を目指し、心からの感謝が溢れ出てきますように

勘違いしていた事

Posted by 黄味子 on   0 comments   0 trackback

先生から教えを個人的に教わっている私達は、聞いた事を素直に行動して
日々戒めて感謝を忘れなかったら、決して落ちる事はありません。
と、今の私は絶対の自信を持って言えます。
落ちた事があり、そこから上がってこれた今だからこそ
落ちる原因は自分にしかない。と断言できます。

私の場合を言えば落ちる原因は、
取り巻く環境が少し良くなったとたんに努力を怠るところ。
先生の教えがあるからこそ、調子よくスムーズにいっているんだと
言う事を忘れて自分に運が向いてきたかのように勘違いしてしまうところ。
そうすると感謝や敬意が薄れがちになってしまう事。
そして物事がうまくいかなくなって慌てて、ごめんなさい。とやっていました。

謝れば許して貰える、また受け入れてもらえると思うのは
自分に都合のいい解釈でしかない。
これを傲慢といわないで何と言えるか。

落ちてしんどいのは誰なのか?
自分で事態を改善しようと試みても結局、改善されなくて困るのは誰なのか?
ここでよく考えてみると答えは、全部自分に返ってくることがわかる。
先生が困る訳ではない。先生からすれば、うまくいかない時にだけ
すり寄ってくるような人は、ほっておいてもよいのである。
聞いたこともせずに聞くだけ聞いておいて努力をしないから落ちる。
落ちる側が全部悪い。自業自得なのだ。

それでも「聞いてきなさい」とおっしゃる先生は本当に優しいと思います。
先生を怖いと言われる方がおられるようだが、それは突いて欲しくないところを
指摘されるということだけの理由からではないか。
私は先生を怖いとは全然思わない。
実際に落ちて本当に言葉にすることさえもできないほどの怖い思いをしたからこそわかる。
落ちるのを未然に防ぐ為に言って下さる先生は本当に優しいと思う。

人の時間は命だと最近のテレビで耳にしました。
確かにその通りだと思いました。
それを当てはめてみると私たちは先生の時間、つまり先生の命をもらって
メッセージを受けているのだと思いました。
そしたら先生の命の入ったメッセージを粗末に扱うなんて絶対にできないと思いました。
先生に言われて怖かったとかいうことをいたずらにアピールして
他の人に話すと言う事などは物凄く失礼な事。
自分が悪かったけど・・・と、けどを付けて言い訳などをせずに

失礼の数々を認めて償い挽回していくしかありません。

スポンサーサイト